スチールきたね
「ザ・ロード」のスチールがあがってきましたね。
→ ttp://www.usatoday.com/life/movies/news/2008-08-06-the-road-preview_N.htm
眼光鋭いヴィゴ、バックミラー付のショッピング・カート、右手に持ちっぱなしの拳銃。
原作の評判がよくて、ざっくりとした設定は知っていましたが、映像化するとこういうことか。
なるほど、これは「難民もの」なんですね。
なんとなく興味が出てきた。
「難民としての視点」は、アメリカ人だけじゃなく日本人にも新鮮だろう。リアル世界ではあくまでも他人事だからね。
数年前、思い立って藤原ていの「流れる星は生きている」を読み返して、「ガビン」と来まくってました。家のどこかにまだあるはずなので、さらに再読してみようかな。(それにしても息子はドウシチャッタのだろう、「品格」とかさ)
いや、新作(「ロード」)読んだほうがいいんでない、とも思いますが。
以下、偏った思いつきをツラツラ。
萌とか関係ないし、単なる連想と予想の垂れ流し、何よりネガティブなので、「何でもコイ」な物好きな方だけどうぞ。
「豆こがお父さん役をやってる図を想像しちゃった」と、腐友達がいったので、わたしも考えてみました。
確かに、彼がやったらまた別の味わいの面白い映画になったかもなーと思いました。
いや、藻っさんで十分、というか、ベストキャストだと思いますが。
この映画が「難民モノ」であったとして、たぶん豆が演じたら、「普通のお父さん」ぽさが出ると思うんです。非常事態にオロオロしたり、時に負けたりするような。手鼻をかみそうな風情、とか、惨めったらしさ、とか。(演出次第ではありますが)
でも、この映画が目指しているのはそういう「並っぽさ」ではないんだと思う。
おそらく、たとえば「28週後」のロバート・カーライルが表現していたような並っぽさは要求されてない。
「困難に果敢に立ち向かう信念ある市民の英雄」として、難民でありながら並ではない(何かと有能そう)藻パパが描かれるのでしょう。
極限状態でわが子に生きる術、人間の尊さを教える父親なんですよね。
原作からそうなのか、映画化されてそうなるのかわからないけれど、ある種アメリカ映画の典型的主人公像になるんじゃないか、という予感。
果たして「アメリカ人の原点としての難民(移民)」を描くことになるのか。そうなったときには、そこには受難とともに、目的を達成する過程で犯した罪や業も描かれることになるはずです。寓話として。
ヴィゴだったらきっとそういう部分が気に入っていたに違いないから、そうなるでしょう。
それとも、都合の悪い過去をさっぱり忘れて「感動の親子愛物語」になるのか……読んでないで、見てないでここまで論評する私もどうかしてる。
素直に映画みてればするっと感動できたハズなのに。「終末描写スゲエ」「藻パパ健気でカッコイイ」「子どもカワイイ」って。……バカバカ、おれのバカ。
(や、こういう事を書いてるからって感動しない、というわけではない。きっと感動するから大丈夫なんだけど)
先入観はないほうがやっぱりいいよね。感動作の公開まで、先読み情報は封印しとこう。
(でも、原作は読んじゃうかも)
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コメント
我慢しきれず原作を読んでしまいました。
豆のお父さん! すごく良さそうですがR・くるーそーのお父さんの方がやっぱり向いてるかもです。
この世界は原作設定だとちょっともう極限状態なので豆だと危ない気がします(笑)。
「火を運ぶ」という言葉をこの親子は使うのですがそのフレーズがとても印象的です。
ネタばれを避けて説明するって難しかった・・・・。
お邪魔しました。
投稿: kess | 2008/08/10 18:27
ネタバレ避けてくださってありがとうございますv
なるほど「極限状態」ですか。マッカーシーですもんね。常に手に拳銃ってスチール見てもわかる。
豆パパじゃ死ぬのね(笑)
じゃあ、クルーソーのお父さんあたりで十分ってことで。
「火を運ぶ」がプロメテウスの火のことであれば、それは人類の未来に希望をもたらすとともに、運び手に永遠の苦しみを与える災厄となるわけで、主人公はそれをも使命として自己犠牲の精神で進んでいるわけなのでしょうか。勝手に憶測してないで、さっさと読めばいいんだ。
投稿: むいむい○ | 2008/08/10 19:26
うん、うん、いろんなところで言われてますが、
プロメテウス、ありかもしれませんね。
私はもっと素朴に思ったのですが。あったかい感じで。
豆パパの場合は本人もありかもしれませんが、
結構周りも危ないと思いました(笑)。過剰防衛(笑)。
投稿: kess | 2008/08/10 22:22