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さとりへの道

 最近、坐禅をやっています。
(ここから先は興味のある人にしかおもしろくなさそうなので、畳みます)

 通ってる坐禅会の師家(しけ:僧堂に於いて雲水の指導をする僧)さんが臨済宗の方なので、臨済禅ということになりましょうか。

 で、臨済宗といえば禅問答、無理会話(むりえわ)ということになりますが、曹洞宗で「只管打坐(しかんたざ)」と言ってるのと何が違うのか、同じなのか?
 結論からいうと、「同じ」です。だいたい。(だいたいか)
 結局、悟りというのは脳の「ある状態」のことなので、その状態にどうやってたどりつくかというのが、それぞれの宗派の「修行についての考え方」になるのでしょう。
 で、脳の「ある状態」とはどういうものなのか?
 んー……それはですね、知覚の変容をともなった自己意識の変化とでも言いましょうか。
 とりあえず、その状態になった人は「これだ!」ってわかるそうですよ。「見性体験」とも言います。
 しかし、「これだ!」と感じるのも、脳自身なので、なかなか証明しがたいものがありますね。
 それでも、その状態はあるし、最近はMRIなど使って外部から観察しようとしているそうです。
 テクニック的なことを言うと、脳をその状態にするだけなら、それほど難しくないと思います。それを阻むのは心理的な要因が大きいかな、と、私は考えています。「悟ろうとがんばればがんばるほど、悟りから遠ざかる」というような。
 なので、うまいことコツをつかめば、即、三昧の境地は味わえますし、「悟り」もそれほど難しいことではないと思います。ヨガで身体を整えて、呼吸、姿勢などをうまくすれば、いっそう、そうなりやすい。
 神秘なことではありません。
 これを神秘と言い立てるのは、ダメです。インチキ宗教です。そういう間違った方向にハマることを、禅では「魔境」と呼ぶそうです。
(おもしろいこと期待してた人、ごめん)
 ともあれ「只管打坐」は、脳をその状態にもっていくために壁に向かって座り、ひたすらその時を待つ方法論というわけです。
 それなら「禅問答」は何なの?
 それはですね、「悟った状態でものを見る訓練」なんです。
 「悟りの境地=脳がその状態」になったら、ざっくり言って「自他不二」自分と他のものの境界線が崩れるといいます。すべてのものがつながりあい、すべてが「無」である世界です。(「無」の定義めんどくさいのでカッツアイ)(しかし、神秘ジャナイ)
 そこに「禅問答」です。公案という、ヘンテコな質問を投げかけるものです。でも、一見ヘンテコに見えても、「悟りの境地の脳」で考えると全然ヘンテコじゃない。ある法則が見えるわけです。
 とはいえ、一般の世界とはロジックが違うのでなかなか難しい。師弟で禅問答をするのは、その悟りのロジックの訓練なのです。単にロジックを教えるのではなくて、脳に、体にしみこませていくんですね。
 わたしが印象的だなとおもう公案の話は、白隠が「隻手の声(両手を打ち合わせると音がする。では、片手ではどんな音がしたか)」を問うたところ、ある女の弟子が「馬鹿な質問をするな、このきちがい坊主め」と殴りつけた……というのですね。その人はみごと印可を得たそうです。
 このことを知ってしまったら、使いたい。でも、同じ手をためらわずに使う度胸は、悟ってないと出てこなそうですね。

 ちなみに悟ると良いことは、「クヨクヨしなくなる」だと思います。あるいは「ムカムカしなくなる」。
 悟ったからといって、喜怒哀楽の勧請、もとい感情がなくなるわけではありません。いやなことがあれば腹が立つし、哀しいことは泣ける。……でも、それに振り回されて、すべてを見失うことはしなくなるんだそうです。
 悟りの世界「ニルヴァーナ(涅槃)(ロックバンドじゃないよ)」というのは、死後の世界の話ではありません。
 仏教学者の中村元は、ニルヴァーナを「安らぎの世界」と訳しました。
 普段生活していても、まあ、耐えられる範囲の普通のことしか起こりませんが、たまに、どうしようもない辛くて理不尽なことが起きます。そういうときにつぶれてしまわない力をくれるかもしれません。あるいは、怒りに我を忘れることを防いでくれるかもしれない。
 悟って神通力が得られるのはブッダ級なんじゃないかと思います。残念。
 神秘ジャナイ……
 さて、わたしが悟る日は来るのでしょうか。

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コメント

書いてくれてありがとー。悟ってる状態って通常の生活の中で維持できるものなんですかね? それともつかのまなの。悟ってるひと同士の特殊なコミュニケーションはないの。それが禅問答なの? でも禅問答って定型のやりとりなんでしょ、即興はないんだよね? クヨクヨムカムカしなくなるというのはいいな・・・。脳の状態か・・・。自律神経と関係あるのかな。

投稿: 香 | 2015/12/28 21:13

コメントありがとう。質問にこたえられるものだけ答えるね。「悟ってる状態って通常の生活の中で維持出来るの?」→できません。残念ながら。悟ってる状態って「すべてがキラキラしてる」っていうかんじが近いのかな。一週間ぐらいすると、普通にもどっちゃうそうです。「禅問答って定型のやりとりなんでしょ?」→別に定型じゃありません。即興です。赤本的な意味で禅問答集がありますが、そのままでなくてもOKよ。要は自分がその境地を知っているかということなので。「脳の状態」→カラダをととのえて、或いは禅問答でその境地にたどりついて。「クヨクヨしない」→さとると「如実知見」ありのーままーにすべてが見えるそうです。足さない引かない、偏見や希望的観測のない事実が見えるそうです。それに耐える精神力がつくと、クヨクヨしないんじゃないかな。

投稿: むいむい | 2015/12/29 00:36

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