「自由意志」という幻想

 まだ「H○USE」語りを続けます。
 ごめんね、興味ない人。
 まあ、人の「意志」ってものが多分に器質的なものと化学物質の作用によって左右されることは知ってるつもりでしたが、ハウスが人格障害でああいう奇矯な、おっと失礼、個性的な言動をとるのかも、という可能性を考えると、「自由意志」というものの存在がはかなく思えてきました。しょんぼりすまいと思うものの、しょんぼりしてしまう。なんとなく。 
そういえば、ハウスがカワイイ17歳のギャルにストーキングされてたけど、結局は胞子の感染よる幻想だと見抜いて、なんだかしょんぼりしていた話があった。彼も実は「自由意志」を信じたい一派なんだな。だから、人の生物学的アレコレはズバズバ指摘するけど、自分の生物学的要因による判断の狂いは認めたく無いんだろう。それはそうだよね、しょんぼりしちゃうよねえ。

 彼が生物学的原因から、迷惑な、おっと失礼、個性的な言動をとり、それが「魅力的」にみえるっていうことはありうることですが、彼の障害がキャラクターのすべてを支配しているわけではないと思うのです。
 同じ生物学的条件が整っていても、ジャズが好きになるかメタルが好きになるか、チーズが好きか嫌いか、色んな些細なことが変わってきます。そしてキャラクターとか人の内面というのは些細なことの積み重ねだと思うのです。

 しかし、私は、ひとつだけ怖い可能性を考えついてしまった。(以下、悲観主義注意報)

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へーちゃんは何も教えてくれなかった

 どうでもいい話で申し訳ないんですが、さっきテレビを付けたら、大昔の「シルクロード」をやっていて、昔のエピソードとして「山の老人と暗殺教団」の話をしていました。
 「東方見聞録」に「山の老人」というのが登場して、山の上に砦をつくり、十五歳から二十歳の若者達を集めてハッシシをつかって精神状態を操り、暗殺者として送り込んでいた……というおはなしです。
 それで、どういう素性の絵かわからないのですが、「山の老人」というキャプションのついた髭の爺さんと、「帰依する若者達」が描かれた白黒の細密画が登場しました。
 「山の老人、ハッサン・サバーは若者達を、まず薬で眠らせ、心を操ったと言われます」
 相変わらず盤石な感じのへーちゃんのナレーション……
 髭のうさんくさいジジイ、そして、割と美形ぞろいの若者達……ちょっと、あの、髭のオッサンが口移しで薬を飲ませてますよ……
 へーちゃんはノーコメント……
 でも、かなり長い間、トロンとした目で地面に斜めになってる若者達と特にしつこくオッサンに口移しされてる若者、そのようすを腹黒そうに見つめる山の老人の絵がうつしだされていました。
 イスラームには隠然たる男色文化があったわけなんですが、それ以前に「薬」とか「暗殺」とか「砦」とか面白すぎる……。
 でも、へーちゃんに何かコメントしてほしかった。
「イスラームには隠然たる同性愛の文化がありました。この細密画にはそうした結びつきも描かれています」
 くらい言われたら、即納得しちゃう気がするんですが。ダメですか? そうですか。

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偶然のはずはないのに

 なんか考えれば考えるほど、Borderline Personality Disorder(境界性人格障害)が疑われるH○USEなんですが、簡単にググってみたところ、彼をそれと結びつける英文ページは簡単には出てこなかったです。
 しかし、ここまでどんぴしゃなキャラクターを偶然つくることはアリエナイ。むしろ、精神医学の教科書を参考につくりあげたにおいがする。
 そこで私は考えた。思春期から20代が盛んで、中年以降は落ち着くことが多いと言われるこの障害が、このトシ(40過ぎ)までこれだけ濃い、ってのは相当な「重症」ということで、それでありながら医者を続けてるなんて殆ど不可能なんだけど(まあ、フィクションだからいっか)、精神科もある大学病院で誰一人彼の人格障害を疑わず、医者を続けているってのは「病院としてどうなの?」ってことです。倫理的に問われないのか? 言い訳は用意してあるのか?
 ホンマにいらん心配してしまいました。っていうか、いくら「天才」でも、その天才の神懸かりがいつまで続くのか、精神不安定過ぎて保証できないってのは如何なものか?

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面白いんだけどもさ

 週末はH○USEの第3シーズン一気再放送(前半)をみてました。
 第2シーズンまでは普通の医療ドラマの仮面を被っていた(?)のが、このシーズンで何かがぶっちぎれたようになっていく過程をおさらいできて素敵v

 見返した中で、印象に残ったことを……。

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HOT FUZZ

 「HOT FUZZ」を劇場でみました。
 劇場でみてよかった♪
 「ダーク・ナイト」にはまだ間に合うので、先にこっちを(笑)

 「ショーン・オブ・ザ・デッド」のサイモン・ペグとニック・フロストの主演作。間に合わせでつくられたらしきパンフレット、表紙イラストが北の首領様みたいに見えるんですが……(汗)

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(ちょっとネタバレすぎだったので、一応、ネタバレですよ、とお断りして隠してみます。すすす、スミマセン……)

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スチールきたね

 「ザ・ロード」のスチールがあがってきましたね。
 → ttp://www.usatoday.com/life/movies/news/2008-08-06-the-road-preview_N.htm
 眼光鋭いヴィゴ、バックミラー付のショッピング・カート、右手に持ちっぱなしの拳銃。
 原作の評判がよくて、ざっくりとした設定は知っていましたが、映像化するとこういうことか。

 なるほど、これは「難民もの」なんですね。

 なんとなく興味が出てきた。
 「難民としての視点」は、アメリカ人だけじゃなく日本人にも新鮮だろう。リアル世界ではあくまでも他人事だからね。
 数年前、思い立って藤原ていの「流れる星は生きている」を読み返して、「ガビン」と来まくってました。家のどこかにまだあるはずなので、さらに再読してみようかな。(それにしても息子はドウシチャッタのだろう、「品格」とかさ)
 いや、新作(「ロード」)読んだほうがいいんでない、とも思いますが。

 以下、偏った思いつきをツラツラ。

 萌とか関係ないし、単なる連想と予想の垂れ流し、何よりネガティブなので、「何でもコイ」な物好きな方だけどうぞ。

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リトル・ダンサー(再見)

 再見、なんてほどのものでもなく、BSつけていたらはじまったので、つい見てしまった。
 詰めが甘いとか色々と欠点はあるのだろうけれど、イギリスでは愛されてるんだろうな、と思った。おそらくイギリス人が見て「ああ、こうだよな」という部分がぎっしり詰まっていそう。
 ジェイミー・ベルの「労働者階級の小僧」っぷりが本当にかわいい。

 以前、誰かブロガーが、劇中のロイヤル・バレエ学校の入学テストのシーンについて「ビリーの踊りの技量そのものでなくて、彼の言葉が決め手になって合格が決まったのが解せない」と書いていたのだけれど、私はそうは思わなかったので、その件をペンディングにしておいた。で、今回、モンダイのそのシーンをみてみたら、やっぱり、その「言葉が決め手」というのは気にならなかった。
 というか、むしろ本質的だと思った。
 件のシーンは、入学テストの中での面接シーン。
 ビリーと父はロイヤル・バレエで学ぶということへの覚悟や、バレエに対する理解、情熱について質問を受ける。でも肝心のビリーはなんだかはっきりしない。(その前段の実技のシーンもぱっとしない)
 とうとう面接も終わり立ち去ろうという時に、一人の面接官が「あなたは踊ってる時、どんな気持ちになるの?」とたずねる。
 それに対するビリーの答えは、言語的にも表情もとても雄弁なものとは言えない。もそもそと蚊の鳴くような声で答える。しかし、話しているうちにビリーが確信を持って言う言葉が「電気のように」という言葉。
 この一言に面接官達が「これは」という表情をする。

 鳥のように、電気のように、そして、自分がなくなる瞬間。

 ビリーが拙い言葉でいった台詞は、舞台上のすぐれた表現者に必須の感覚をあらわしていると思う。
 ダンサーにしても役者にしても、舞台に立つものは、異界からの何かをその身体を通してわたしたちに見せる。
 それは演じる本人たちの意図を越えた「なにものか」が立ち現れる瞬間で、それは霊媒の忘我の状態にもたとえられるものだ。
 頭を働かせ、体を動かし、100%の努力をしても、なお「それ」が再度やってくるかどうかはわからない。ただ、「それ」がないと大きな感動は生み出せないものなのだろう。
 そして、ビリーが既に「なにものか」を感じる体験をしているというところに、面接官(ということは後にビリーの教師になる人々)は可能性を感じたのだろうな、と思った。

 技巧がすぐれている、振り付けが素晴らしい、というだけでなくて、その瞬間でなければ感じられないものがあるのが、舞台のいいところ。

 で、AMP版の「スワン・レイク」なんだけれど、わたしはアダム・クーパーが白鳥をやってる舞台をみれてないんだよね、結局。
 ほかのキャストも十分すぐれていたんだけれど、でも、やっぱり「あて書き」みたいなものはそのひとでみないとね。
(それはやっぱり、「ボレロ」はジョルジュ・ドンのものだった、みたいなものでしょうがない)
 最後に25歳のビリー役で出てくるアダム・クーパー、かっこよかったなあ!

 あと、「男はフットボールかボクシングだ」と父ちゃんが言うシーンとかみて、どうしても否応なしに豆こを思い出してしまった。豆こはどっちもやったけどモノにならなかったんだよね。そんで「そんなのはカマのやる仕事だ」って反対されていた役者になっちゃった。
 イギリスの新聞、雑誌での豆この紹介文に「『ビリー・エリオット(リトル・ダンサーの原題)』みたいに」って書かれるのは、そのあたりの相似性かなあ。ま、豆こは労働者階級だけどお金持ちの子だったんだけどね。
 私はそれにプラスして「でも散々いわれて入った業界で、豆こってホンモノのゲイにはもてなかったんだろうなあ」っていうコンセンサスがあるような気がするんですが。
「ああ、きっと、こいつのキャラじゃ鈍くて無理」みたいな。
 考えすぎですか? でもそう考えると可愛くてしょうがないんですが(笑)

 さらにどうでもいいけど、ストでの警官隊との衝突のシーンで、ビリーの兄が労働者住宅街を逃げるところ、クラッシュの「ロンドン・コーリング」がつかわれていたけど、パンクって労働者の音楽なのねえ。
 「ブラボー・ツー・ゼロ」でも冒頭、空母からの戦闘機の離発着シーン(ニュース映像)に合わせて、同じ曲が使われていた。それって「労働者の労働の場としての戦場」(イギリスの伝統産業?)ってことだったのかね。

 テレビで見ても、やっぱりなかなか好きな映画です。

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いってきました

 もう先々週になりますが、リメイク版「ヒッチャー」をみに銀座に行って参りました。

 大看板の前で待ち合わせv

   

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 ライダー@ショーンを大画面で堪能出来ると思うと胸が躍ります♪





 

 

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新作スタトレ映画

 新作スタトレ映画の情報が段々はいってきました。
 今日みかけたネタはこれ。ニモイさんのインタビュー

 レナード・ニモイが本当に出るらしいですよ♪

 彼は歳をとってもあんまり変化がないので、今でもミスター・スポックできますね。勿論歳をとったスポックですが。
 ふふふ。
*全然スタトレと関係ないけど、この記事を最後まで読んだら、ニモイさんの新しい写真のコレクションというのが気になったり。太った女の人のヌード? 真面目な人なんやろね。

 他のキャストもなかなか面白い。(この記事とか、この記事とか)一時は(いつもの如く話題作りのためとはいえ)ウッキーこと○ット・○イモンがカークという噂すらあったことを思うと、いっそさっぱりしていいかんじです。
 カール・アーバンがマッコイというのが痺れる。どうなるんや? でも、カールはどんな制服着ても格好良かろうと思います。背が高くて頭小さくてスタイルいいから。
 そして、バナ兄さんがロミュランの悪役らしいというのが結構うれしいです。耳が尖っておかっぱ頭になるということですかね。
 さて、あとはJ.J.エイブラムスの手腕や如何にというところですが……。「アルマゲドン」の脚本家という不安と、「LOST」の引っ張り上手という期待が入り混じっております。どうしよう引っ張るだけ引っ張って、謎のまま映画が終わったり。……それはイヤ(笑)

 ブライアン・シンガーが監督だったらどうなったのかなあ、とか、ちらと思ったりも。

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オリジナル版「ヒッチャー」

 リメイク版「ヒッチャー」日本公開まで後1ヶ月記念☆オリジナル版「ヒッチャー」を見る会。
 ……ちゅうても一人で見たんですが。

 見てわかったのは、リメイク版がかなり、ものすごくオリジナル版に忠実だった、ということ。

 忠実だからなんなんだよ、という気もするんだが。

 なかなかよろしうございました。
 楽しませていただきました。
 以下、ネタバレというほどでもなく、とりとめもなく感想を垂れ流し。

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300人のスパルタ人

 よーやく見てきました「300」。
 前評判通りの痛快歴史劇画映画でした♪
 
 筋肉のお祭りだよv

 みるまえに「300人の愉快なスパルタン」とか書きましたが、ちょっと違ってた。
 愉快なのはペルシア軍の方。
 大男、巨大サイ、巨大象(じゅう、じゃないよ)、不死軍団、魔術師……。
 もー、次から次へと変なモノが繰り出されて笑いが止まりません。
 極めつけはペルシア王!

 スゴイよ、なんか……。
 この人も2メートル半(?)くらいの長身で、全身金銀財宝ジャラジャラなうえにパン一(当然金色)、イキっぱなし気味に開いた瞳孔、そして美形……。
 クセルクセス……面白すぎる。

 スパルタは文字通り「国民皆兵」で、男子は全員戦士として特殊教育、女子も男子と混ざって鍛錬三昧(ほかのギリシアの国では女子はスポーツしたり見たりしちゃいけなかったが、スパルタは男女同権)……もちろん、鍛錬は「マッパ」です。
 戦場に行く時も鎧はつけず、身につけるのは兜にマント、サンダルのみ。
 ……ゲンナリ(笑)。
 乾燥してるから汗かいても全裸の方が動きやすかったんだろうか?
 *映画ではマッパじゃなくて革ビキニだったです。もちろんマッパは無理です(笑)

 あと、私の記憶に間違いがなければスパルタだけは同性愛禁止だったはず。
 それやこれやで、周囲のギリシア諸国から浮いてたことは間違いない。
 ほかのギリシアの兵士は、パンツははいてなかったとおもうけど鎧くらい着けてたもの。
 でも「浮く」なんてコドモじみたことに頓着せずに我が道を行くスパルタン、愉快です。
 
 映画は戦闘シーン90%なんですが、飽きないように映像表現が凝ってました。
 それからデイヴィッド・ウェナムが語り部役だったのですが、スクリプトの半分以上は彼がしゃべってたんじゃないかと言うくらい、語ってました。とてもおいしい役。
 そしてウェナムさんがやっぱり豆と似てること。でも声はちょっと高いキーが混じっていて似てないこと。そして今回はたぶん、わざと声を少しつぶしてしゃべってること発見。
(豆とは似てるけど、頭蓋骨レベルの似方ではないのだなあ……。兄弟とか親子が声が似てる、みたいなことはなかったのだった)
 レオニダス王役のジェラルド・バトラーは、見たことある「レオニダス像」そっくりに髭と髪をつくってあった。(チョコレート店の「レオニダス」。スパルタ式のチョコレートなんですかね)体もマッチョにつくってありました。ボディビル系じゃない筋肉がリアルっすね。そして真の意味で知将でございました。
 
 ともかく、あれやこれや考える前に終わってる、って映画です。

 豪華キャストそろえたあげくの愚作「ト○イ」に比べれば、コストパフォーマンスばっちりの作品。
 

 小雨がぱらつくなかを映画館まで自転車で行ったのですが、見る映画が映画だけに「帰りはスパルタンに勇壮なキブンになって、ちょっとやそっとの雨には負けずに帰れるに違いない」と思ってました。
 果たしてその通りでした(笑)
 巨大なものがイロイロ出てくるところとか「ベルセル区」が引き合いに出されてましたが、見終わった帰路、粒が大きくなってきた雨の中ペダルを漕ぎながらわたしの口をついてきたのは「上等上等ぅ!」「スパルタの戦士は世界一ぃ!」とかいう別な漫画の台詞でした。違うやん。
 大丈夫、雄叫びはあげてませんから。はい。

 
 

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「かもめ食堂」

 DVDも出ているのにいまさらですが、近所の劇場でやっていたのでようやく見たのですよ、「かもめ食堂」

 いまの日本の女性は北欧にいって「料理」で人生再生するのね。
 アメリカの映画だとトスカーナとかにいって「恋愛」なんだろうけど、日本人は「料理」。
 「恋愛」(セックス)も「料理」(食欲)も生きる根元のエネルギーってかんじがするかれど、日本の方が 「伴侶幻想」(もしくは強迫観念)に乗れない人が多いんだろうなーという気がする。

 料理の方が「自己完結度」が高い気がする。

 かろうじて「食堂」だから、料理を人に供することで「繋がり」が出ている。

 ともかく「かもめ食堂」がカッコイイ。
 白木ベースの北欧モダンのすっきりした内装と家具、什器。
 器は向こうのモダンものと粉引きとか志野とか系のモダン和食器。
 
 あと料理がとてもおいしそう。
 一番はじめに登場したのが黒い鉄鍋で煮ている肉じゃが。
 白いご飯と卵焼き。
 銅のフライパンで焼いた豚肉の生姜焼き、魚焼き網で焼いた鮭、炊きたてご飯で握ったおにぎり……。
 どれもこれも、「みんなが食べたことのある家庭の味を基本に忠実に」再現してくれてます。
 フードコーディネーターとフードスタイリストの渾身の作品でもあります。
 主役のゆりこさん役の小林聡美がたぶん料理が上手な人で、手際がいいから、すっごくおいしそうに見える。

 それからゆりこさんはプールで泳ぎ、毎晩合気道をしています。立派です。
 家庭的、かつ、おしゃれ。
 いいね、こんな生活。

 でも、北欧インテリア、和食器、スローフード……というのに逆に警戒心をいだくわたし。
 わたしが何故か目の敵にしてる「ク○ネル」系キーワードだから。
 でも結局はそうなってない。

 わかった。

 「こんなストイックで丁寧な暮らしをしているアタシが好き」という感じがしなかったからだな。

 群ようこさんの小説って、すっごいおかしくて、からっとした話なんですが、登場人物がスタンドアローンな印象があります。助け合うけど群れない感じです。あるいは「私は○○なのに、あのひとはXX」みたいな人と比較するダケの人生とは無縁な感じです。
 それから人に対して「優しくしよう」なんていうところがないんです。痛みを感じている人のそばにそっとつかず離れずに寄り添って、見守っている。(必要ならば手が差し伸べられるところでね)そういう距離感が心地良い。
 小林聡美、もたいまさこ、片桐はいりっていうキャスト陣は、そういう設定をさらりと感じさせてくれる演技をしてくれました。何とも台詞には入ってないんですが。

 ……で、当然ながら見終わって家に帰ってさっそくご飯を炊いておにぎりをつくりました。
 暖かいおにぎりはおいしかった。
 

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「ゴスフォード・パーク」

 ロバート・アルトマン、亡くなったのね。

 割と最近、「ゴスフォード・パーク」のDVDを見たところだったので、なおさら、はーという感じ。

 以下、いつも通り、ネタバレ気味に感想めいたもの。


 階上(うえ)と階下(した)で、別々の世界が展開しているように見える階級社会。
 でも、見えないところには色々とある。
 ときには殺人を引き起こすような……というお話。
 アルトマンの手練れの技で、階級社会と入り乱れる人物が見事に料理されていた。
 我々外国人(あるいはアメリカ人)にわかるように「美しいカントリーハウスで展開される'30年代の英国階級社会」という、ポワロなんかでも描かれてきた一種憧れの世界を扱っている。そりゃもう、見事に。
 でも、それを描くこと自体は目的にしてないのがクール。見てて心地よい。
 
 イギリスは役者さんが少ないので、見た顔オンパレード。
 「カドフェル」とか「第一容疑者」のテニスン警部とか、あと、あの「オスカー・ワイルド」の人(役名で呼ぶなよ)……キャスティングばっちり。
 そしてジェームズ・ウィルビー(チャタレイ卿)は「無力な美しい男」の役が似合うなあ。
 さらにクライブ・オーウェンは、まあ、かっこいいけど、眉間にどんよりとしたもの(性欲と恨み辛みみたいなもの)がこもってる顔なのね、という表現を思いついた(酷)。
 誰も彼もが裏表があって(アルトマンの映画ってみんなそう?)特に思い入れられるキャラクターもいないのに、すーっと見られる大人な一作でした。

 そして、こんな大人な映画をつくっていたアルトマン監督の次回作はもう見られないのね。
 

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「太陽」

 よく出来た映画でした。
 なぜ、今、昭和天皇? と、思ったけれど。

 私人としての昭和天皇だから、という設定で、彼はいつも狭い部屋にいます。
 防空壕につくられた仮の御所、寝室も食堂も居間も着替える部屋もどれも狭い。大本営の会議室も狭い。研究所も狭い。
 狭苦しい場所にいる、小さい人。

 それは昭和天皇のイメージでもありますが、日本のイメージでもあるのでしょう。
 なるほど、ニッポンの象徴ですか。

 見る前に友人から「ヨーロッパ人がつくった貴族の映画だと思うとすんなり見られるよ」というサジェスチョンをもらいましたが、なるほど。
 貴族の頂点にいる人の孤独、クレバーさ、そしてズレたところを余すところなく表現しています。
 こんなにかみ合わない大本営じゃ戦争遂行は難しかろう、とか、妙に納得してしまう幻想の御前会議。おっさんら緊張しすぎで涙目だし。なんかそういうヒステリックなところが、日本ぽいと思うのはわたしだけ?
 イッセー尾形の渾身の物まね(といいたい、あえて)と演技が十分に活かされた映画でした。
 例の「あ、そう」という口癖、口をもにょもにょさせるところ(あれって若い頃からの癖かなあ? 年寄りになってからじゃなくて? とは思いつつ)、独特の発声法がものすごく「あの方」でした。
 彼なりに真面目に職務に取り組んだのに、事が成就しなかったときの対処法など誰も教えてくれない呆然とした感じ、かといって、決して民草とは(会ったことほとんどないし)共感のしようもない感じ、貴族ならではの冷淡な感じを「あくまでも個人の生活の場で」描く、という試みはとても上手くいっていたと思いました。

 トビウオがたくさん飛んでくる空襲の夢に続いて、二重橋の描写(セット+CG)、焼け跡の東京の描写、どれもが「幻想」として描かれています。
 「現実」を感じようがない人だからですね。
 こんな人が額面だけであれ、実質であれ「最高指導者」で戦う戦争って何だろう? 

 桃井かおりの皇后は、健闘していたと思います。
 ものすごく登場シーンが短いもの。
 彼女がどうがんばっても皇族っぽくも貴族っぽくもないのはともかく、シーンが短すぎて芝居が暖まってくる前に終わってしまうというのがとにかく大変そう。その中で、夫婦で互いに「あ、そう」と言い合って会話してるところとか最高でした。
 皇族のキモい感じを非常に上品に、かつ完璧に見せてくれたと思います。

 この映画は、やはり日本人のキャストでなくてはならなかった映画だと思いました。
 些細な描写のみで積みあげられた作品だからです。
 世界市場に売るためにアジア系の英語で芝居の出来る人を使っても、ちょっとしたところ(墨をするとか、お辞儀をするとか)で違和感が出てしまうと思いました。そうであっても細かいところは色々あれだろうけど(旧漢字で書いてないとか)……ホンモノのあのひと達って見たことないから、あくまでもテレビを通じてのイメージなんですけどね。そのイメージ(うすらキモいかんじ)はよく表されてました。

 でも、「さゆり」を若い日本の女優でやれたかというと疑問。どのみちアメリカ人の幻想がもとになってるからね。さらに言えば、ロシア人が主要キャストじゃない「アンナ・カレーニナ」とか枚挙にいとまはありませんから、ま、いっか、という気もする
 パンフレットを読んで、通訳役の人の日本語がオール吹き替え(by佐野史郎)だったと知りました。そうそう、吹き替えっていう手もあるしね。
 脚本にあった役者さんをつかいましょう、ということかもしれませんね。その意味ではばっちりでした。

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6フィート下

 スパチャン(いまだにこう呼ぶ)でやってるHBOドラマ「シックス・フィート・アンダー」、面白さが安定してきました。

 フィッシャー家がそれぞれバラバラなのは別に新味はないと思っていたけれど、キャラクターそれぞれのエピソードが進んできて楽しくなってきました。
 わたしは群像劇が好きなのでことさらに大好きです。

 全員についてくどくど書くときりがないので、最近のエピソードを見た印象を。

 単に職人だと思ってたフェデリコの奥さんがちょっとノイローゼになってしまい、リコも少しはがんばらなくちゃならなくなったり、ルース・ママがかなりストーカーっぽくなってたり、キャラがどんどん掘り下げられていってます。みんながダメっぽいけど下品むきだしになってないのは、作り手側が上品だからでしょうかね。
 エゴ剥き出しにさせてぎゃーぎゃー騒がせて、それを肯定する……みたいな構図をわかっていてはずしている。
 ネイト(長男)の奥さんリサ(神経質っぽい)がちょっとやばくなりかけてたけど、一応持ち直したのでほっとしました。でも、「きっとそのうち自爆ギレしてダメになるんだろうな〜」と予測させつつ、しかもそれをバカにしてない感じがいいです。
 デイヴィッド(次男)とキースが一番、真面目に「夫婦(?)」やってます。努力してます。真面目です。愛し合ってます。
 キースが「ミュージカルとおしゃれが好きなゲイ」というドラマに出てきがちな(「スピンシティ」のカーターみたいな)ステレオ・タイプじゃなくて、「アニキ好きなゲイ」というこれまたリアルなタイプで、前者タイプのデイヴィッドとは色々合わないのがいいんですよ。細かくリアルです。
 ていうかゲイとかそういうのを越えて「普通」なんですよ。そういうところが、監督でプロデューサーのアラン・プールのいいところなんでしょうね。

 それと、クレアがいんですよ。水死体顔の長女。
 ローレン・アンブローズ(某Mさんは「フルハウス」のDJ役だったキャンディス・キャメロンだと言っていたけど、違うよー。あ、ひょっとして吹き替え声優さんのことか?<私信)のブスっぽい感じがすごくいい。
 「自分にしかできないこと」を必死で探して、失敗ばかりしている……というのがとてもいい。
 ああ、真面目に生きてる(?)若い娘もドラマに出してる〜ってかんじで。いいっす。
 アメリカのドラマで若い娘が出ると「バフィー」タイプというか判で押したような金髪カワイコちゃんばかりで、今でいうとミーシャ・バートンとかですか? リッチなエビちゃん系っていうんですか?かわいいのはいいんですが「如何に異性に魅力的にみられるか」を思考の中心に据えたようなキャラ(ついでに大金持ちだったり、バンパイヤ・スレイヤーだったりものすごい能力がある)ばかりなのがついてけない。
 もしくは、「24」のジャック・バウアーの娘みたく外見はそういう感じで「反抗的で無能で若くてかわいいというだけのキャラ」みたいなんばっかりやないですか。
 小学校の高学年になったらオルセン姉妹プロデュースの服着て(日本だと「ラブベリー」系か?)、もう「参戦」してるんだろうな、みたいな。
 ……ミーシャは下品じゃないからまだいいか。パリス・ヒルトンはキャバクラ嬢に見えるからな。全世界的に若い娘のアイコンはキャバ嬢かよ…………orz
 とかなんとか、こういうことを言うってことは年よりってことなんでしょうが、いいもん。実際中年だもん。自分の子どもがそんなになったらいやだもん。ならないように洗脳(教育ともいう)しようと真剣に思ってるもん。(いないけど)
 
 このドラマとわたしの距離感というのは「近所の知ってる人たち」。それぞれのキャラクターに特別肩入れしてるわけじゃないんですよ、ただ、「同じ世界に住んでいる人たち」として、欠点も色々あったりするけれど共感して見ていられるというドラマ。
 むむ、やるな、プール監督。さすがだてに奈良に交換留学してないな(高校の時、奈良にきたんだってさ)。
 

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エンタープライズ最終回

 ぬおおお。
 
 なかなかブログが書けないよ。

 ううむ、「忙しい」というよりも「時間をとられる」という方が正確な今日この頃。
 ひとりでやる作業だけでないのが、会社勤めの辛いところですな。
 まあ、わたしは心に広い棚をもっているので、いろいろと棚にあげて心の平穏を保ってはいますが。

 ……ある日いきなり棚がおっこちて、キレまくって暴れたり(笑)

 ずいぶん遅くなったですが、STエンタープライズ最終回の感想。

 正直いってこれまでENTはまじめに見てませんでした。
 1シーズン目の途中ではやばやとリタイア。
 以降は、スパチャンつけててやってれば見る、という冷淡なかんじに。

 それが第4シーズンになってようやく面白くなってきました。
 もう最終シーズンということで「従来のSTの客以外をキャッチする試み」という縛りがなくなったせいか、過去のシリーズの豪華ゲスト(スパイナーさんとか)を出しまくり、DS9でも解明されなかった「なぜクリンゴンの額の形はTOSとTNG以降で違うのか」という謎を優生人類までもちだして解決し、自粛してきた本歌取りネタを連発。
 それで先日のスーパードラマTVの「まるごと40時間」で最後の方をみたのですが、やっとSTらしくなったところでおしまいというのが残念でした。

 最終回とその前の2回(「テラプライム・前後編」)は台本も本当によかった。
 ほんとうに、最終回は最後だから、ということだけじゃなく、ちょっと涙ぐんでしまいましたよ。鬼の目にも涙ですよ。

 最終回のゲストは、TNGからライカー副長とカウンセラー・トロイでした。
 しかも関係するエピソードは「難破船ペガサスの秘密」
 そう。
 彼らがもう10年以上前に演じた役での出演でした。
 ST-Xの「ネメシス」を受けて、タイタン号艦長着任以降のライカーとトロイが出てくるかなーと思ったのですが、違ったんですよ。

 誰かさんも10年前の緑の制服に苦労していたみたいですが、TNGの制服はすごいですから。スパンデックスでぱっつんぱっつん。
 ちなみにライカーは10年前の段階でこんなでした(笑)
 それが10ん年経った今となっては、もうおそろしくて……。

 でも今回はがんばってました。
 10年前のぱっつんぱっつんよりは、どうしても1タップくらい「ぱっつん」が多い感じですが、ちゃんと制服の形におさまってた(もちろん新調してます)。白髪も染めたそうな。何よりも動く時のくせとか、芝居の感じがちゃんとライカーになってました。トロイもそんなかんじ。
 そして単なる狂言回しでなくて重要な役割を果たしていたし、ちゃんと「ペガサス」のエピソードをふくらませていたし、幸せな本歌取りになっていました。
 ライカー副長がピカード艦長好き過ぎ、というのを踏まえてのアーチャー船長と部下の信頼関係話で、「アーチャーってどうよ?」と最後までぶつぶつ言っていた私をねじふせてくれました。そういう意味ではちょっと卑怯? でも許す<偉そう(笑)

 吹き替えの大塚明夫さんは、完璧にライカーでした。
 ほかにも声しか出てこないデータは大塚芳忠さんでしたし、吹き替えももとのまま。
 ちなみに最後のシーン(D型→無印→NX01と歴代のエンタープライズが登場し、音楽もリレーしていく)ですが、「まるごと」で放送した版では谷口さんひとりでナレーションしてましたが、なんとDVDでは麦人さん→矢島正明さん→谷口節さんのリレーだそうです。やった、DVD買うかいアリ♪

 ひとつだけ残念だったのは、芳忠さんの久しぶりのデータがあまりこなれてなかったことかな。強いて言えば「第1シーズンのデータ」と、トレッキーのおともだちがいってたよ。

 ……すごく久方ぶりにト○ッキーみたいなことを書いてしまいました。(実際トレッ○ーだけどさ)
 たいして濃いわけではないですが。
 STな幸せの瞬間です。

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イーディス・ヘッド

 おもいたってヒッチコックの「裏窓」をみてました。

 ……これってジェームズ・スチュアートがやっても「のぞき」なんじゃ……。

 みたいなツッコミはさておいて(笑)。
 裏窓から見える裏庭を囲んだ景色に限定した舞台設定。
 場面が限定されることにおいて舞台劇のような画づくりになり、謎解きも場面が制約されることによって「謎」になりうるというのが設定の妙ですな。
 とかなんとか言って……なんといってもやっぱり、グレース・ケリーがきれいで嬉しい映画でした。
 特にあの衣裳がお気に入りですv

 グレース・ケリーの着ていた衣裳いっさいがっさい、欲しいっす!

 いや、ナイトガウンはいらないや(当たり前)。
 ヒッチコック映画は前から衣裳がお気に入りだったんですよ。
 「」のヒロインのスーツなんかも格好よくて印象に残ってました。
 シンプルだけど野暮ったくなくて、今でも通用する、と、思うですよ。

 いや〜、ヒッチコック変態だからさ〜、美女の姿形着る物に妥協無し、で、有名デザイナーのものなんだろうな……などとぼんやり考えていたのです。
 が、違いました。
 
 実は、すごい映画衣裳の専門デザイナーがいたんですね。
 彼女の名前はイーディス・ヘッド
 
 「裏窓」も「鳥」も彼女が衣裳デザインをしていたんだそうです。
 へぇ〜。

 それと「泥棒成金」(これも主演はグレース・ケリーのロマンティック・コメディ)での衣裳は、デザイナー本人も満足の出来だったとか。
 ヒッチコックいいセンスじゃん。

 でも、イーディス・ヘッドは、それだけではないもっとすごいデザイナーさんだったんですねえ。

 「サンセット大通り」「イヴの総て」、時代物では「サムソンとデリラ」、あとはオードリー・ヘップバーンお好きでしょう? 「ローマの休日」「麗しのサブリナ」、それから「スティング」……。

 例の「ローマの休日」のフレアスカートとブラウス、とか、サブリナ・パンツ(ってのが昔、あったんですって)とか世界的に流行ったそうですよ。
 昔はそれだけ映画が娯楽の中心だったり情報の発信源だったということですが、それにしてもすごいですねえ〜。
 約60年のキャリアの中で彼女が関わった映画は1,000本を越え、アカデミー賞にノミネートされること34回、受賞8回という偉大な記録は誰にも破られていないそうです。
 
 今は分業が進んでるから、時代物から現代物までやるデザイナーさんてそんなにいないのかもしれないですが、ともかく、すんごい。そして、ヘッドは最後まで自分のブランドはつくらず、映画一筋の仕事をしていたんですって。
 古き良きハリウッドのお話でございました。

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手短に感想×2

 夏休みちゅうに、夏休み映画をみました(?)。

その1「パイレーツ・オブ・カリビアン 死者の櫃」

 な〜んにも考えずに楽しめる、ほんとうに「アトラクション」な映画でした。アホ映画っていうか。
 ほめてますよ、これ。

 雀船長、相変わらずユラユラしてますが、今回はドタバタ係
 色々とパート3に続く鍵を握っているけれど、それは出さずにひたすらドタバタ。
 ケレンないでたちも見慣れてしまったら、なんだか普通に思えちゃったり……いいのか?

 エリザベスは、最も漢前。
 キーラいいですねえ。
 
 一番むずかしいのが、鍛冶屋。毒にも薬にもならない立場って辛い……いや、そんなことないのか、花嫁を取り返す主役なのか、だがしかし、敵役の特撮系海棲生物船長といい、エリザベス父といい、犬といい、濃〜い人々に囲まれた「常識人」役は割を食ってしまうのだった。
 でも王子としてがんばってましたよ。うふふ。バレエダンサーに喩えれば、マラーホフ系ですな。永遠の王子様。がんがれ。

 そして海苔(元)提督
 今回イキナリ頭角を現した人。
 許嫁を奪われ、海軍を追われ、もう人生イイトコなしのよれよれ状態なんですが、無精髭と泥と埃にまみれた姿がも の す ご く い い
 
 あれ〜、こんなに格好良かったっけ?
 
 というくらい、ハンサムさんです。
 パート1から海苔ノリ言ってた、Oさんの眼力を今さらながら尊敬。
 (Oさん、煤け俳優好きの同志としてこれからもヨロシクv 私信)

 あとは犬ですね。かわいい。

その2「スーパーマン・リターンズ」

 ブライアン・シンガーがXメソを蹴って監督したというだけあって、隅々まで目が行き届いたかんじの映画です。
 まずオープニングからして'78年版「スーパーマン」へのオマージュになってます。
 いやー「スターウォーズのテーマ」っていいですねえ……<大間違い
(それにしても、「まんま」ですよねえ……好きだけど・笑)
 「スーパーマン」のテーマはやっぱり、アレで刷り込まれちゃってますから、あのテーマを聴くと安心するわけです。
 そして3次元的に飛んでくる文字、そして特殊効果を21世紀バージョンで再現してるんですよ♪
 なんか既にこの時点で、監督の愛が伝わってきて嬉しい気持ちになります。
 マーロン・ブランド(スーパーマンの実父)も、'78年版のデータをうまーく使ってすごく重要な台詞を言ったり、本当に愛と実力を兼ね備えた「いいオタク」というかんじ。

 あと、'70年代には技術の限界でヘンテコだった「汽車よりも速く走る」というシーンも、スーパーにリメイク。すってきーv
 本当に特撮ってこういうことのためにあるのねぇ。
 そして、シンガー監督は、スーパーパワーのもつ本質的なトホホ感を理解したうえで、まっこうから表現。とっても気持ちよく楽しめました。もう、スーパーパワー炸裂のたびに爆笑。やっぱり楽しいよ。

 クラーク・ケント役のブランドン・ラウスは、ボーイ・スカウト的清く正しい美青年を好演。クリストファー・リーヴよりも繊細な美形、ってかんじでした。本当に白ソックスはいてそうにみえるんだ。これが。
 う〜ん、なんか、「QuXXX Eye for the Superman」ってかんじ。なんだかとってもいいかんじよ〜。
 
 最初の飛行機事故のシーンで人が全然死なないあたり、ハリウッドの王道でございました。
 ヒロインもくそ丈夫。並の人間なら脊椎損傷しそうな状態なのにぴんぴんしてます。ひょっとして彼女も地球人じゃない? 
 とりあえずアメリカ人はゴジラ並に丈夫だということが判明。そうか、こういう人たちと私たちじゃ感覚があわないわけだ。……ぶつぶつ言う点はこのくらいかな。
 あとは最新の注意と愛情を注いでつくられた、正しい続編ということでございます。

 ラストもクリストファー・リーヴ夫妻への献辞といい、宇宙空間を飛ぶ映像といい、ほんとうに'78年版への愛が貫徹してました。

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ハーパー!

 ハーパーとシャープの関係について、「ハーパーはシャープの男のオカン」とかほざいておりましたが、どうもエゲレス貴族のひとたちは元から職業として何らかの「オカン」がいるものらしい。(従僕とか執事とか)
 でも、娼婦の私生児で働ける歳になるがはやいか軍隊に就職(?)したシャープには、そんな便利なものはいない。

 それは生きたまま二階級特進して士官になってからもそうで……ホーガンにもらったボロボロの軍服を着て、軍司令部なんかにでかけていた。
 シャープの軍服はずーっと一貫してボロなんだけど、ほんと最初は特にひどかった。
 ドラマ第一話では、番組の立ち上がり部分はライフル部隊の「チョーズンメン」をシャープが掌握するまでで精一杯っていうかんじでした。ハーパーとは和解までこぎつけたのが第一話ですな。

 ハーパーが本格的にオカンになるのは第2話からです。
 ドラマ冒頭で既に、手を怪我したシャープの髭をハーパーがあたってるわけです。
 (きっとそれまでも、キレイに剃れてないので見ていてイライラしていたに違いない)
 その時点でハーパーはかなり自分のボスが気に入っていて、「おれたちのキャプテンがクソッタレの貴族の士官に笑われたりしないように、おれが気を付けてやらないと」とか燃えていたのでしょう。
 普通に貴族出身の士官なら、身の回りの世話と私物運ぶのもふくめて数人の従僕と一緒に従軍するものらしいです。
 ところが、シャープにはそんな人はいないのね。
 そういう意味では「オカンが必要になる」ってのはシャープの出世の実感だったかもしれない。それは身分につきまとうコストでもある。

 それでもハーパーの「世話焼き」はあくまでも、身分階級じゃなくて「友情」から出たものだって建前なんですよ。まさにボランティア。

 そして「友情」の距離感が極まったシーンが「ワーテルロー」の「じゃあな、パット」っていうところかもしんない……と、ひとり感慨深いあたくし。

 そして「チャレンジ」はねえ……。
 何年か会わなくても、すぐに「パット」「リチャード」になるんだなあ。
 ハーパーが「リチャード」って呼ぶようになったのは、いつだったろう(思い出せ)。軍隊の階級の差というのと人間関係の距離感というのはどのように表現されていたのだったか。
 その辺り反芻しながら楽しみたいです、「シャープ」。
 勿体なくて(?)さー。あと興奮しすぎるとか。危ないんだよ、あれを見るのは。

 

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マニュエール!——へ?

 後輩に「フォルティ・タワーズ」のDVDを借りてみてます。

 英国らしく嫌味たっぷりで、しかもベタベタなお笑いです。

 ……あ、でも、排泄系のネタがないな。英国の割に(笑)

 続けてみたら、すっごい疲れた(笑)

 なぜなら、主人公のフォルティさんが常にテンパりまくってるから。

 彼がテンパっていらないことをして、事態が泥沼に陥っていくギャグがメインなんですが……本当に、本気でテンパりまくってるのでおかしいけど疲れるの。

 というわけで監督のコメンタリーいりで再度みてみた……アホだ。小ネタ満載。

 それで、主人公がスペイン人の給仕に「マニュエル!」と叫ぶと「へ?」って返事されてイラつく、っていう「お約束」があるんですよ。これはなかなかクセになりそう。
 後輩に「マニュエル!」と叫んで「へ?」と言わせてみたい。

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思い出したけど、音楽

 この間みたクローネンバーグの「ヒストリー・オブ・バイオレンス」。
 ハワード・ショアの音楽があってなかった。
 ショアの得意技(?)な管楽器が、歌い上げる部分がないため不発におわってる。
 主人公が事件にまきこまれる以前の生活が、ホビット庄の暮らしみたいにのどかなわけではないし。
 
 音としてはなつかしの「ツイン・ピークス」っぽいものをつい期待してしまったよ。
 変な人ばっかでてくるし(笑)。

 音楽あっての映画という部分もあるので、大事よ。
 気を付けてえらびましょう。
 思い出したので書いてみた。


 

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ヒストリー・オブ・バイオレンス(再見)

 ようやく見てきました。
 字幕があると安心♪
 英語に自信がないうえに、ヴィゴってばむにゃむにゃしゃべるんだもの(責任転嫁)。
 
 いや〜、かえすがえすも

 「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は、ヴィゴりんがむっちゃキュートな映画ダネ。

 ヴィゴりんアイドル映画☆<嘘、いいすぎ

 オトモダチのNさんとIさんのサジェスチョンもあって、目が覚めましたよ。

 もうね、全っ然、社会性も普遍性も表現する気ナイ映画(いい意味でvたぶん)

 トム=ジョーイは、人間的な諸々のしがらみや掟をかっとばしてる存在。スイッチがはいるとそのように動いてしまうクリーチャーだったんですね。
 
 ラストシーンで家に帰って、奥さんの顔見た時に「やべっ、そういや叱られてたんだった」って獣みたいな表情が印象的、っていうIさんの言葉イイトコついてました。そのように鑑賞して萌えた(?)っす。
 「身内でも兄弟でも邪魔なら殺す(しかも素手で)」それでいてそのことがめんどくさくなると、ジョーイを捨ててトムになっちゃう感情の欠如、みたいな怖さもヴィゴが演じたから「アリ」って思えた。闇、ってそのとおりだったねNっち。 

 そういうことで総括するとクローネンバーグは魅力的な妖怪(というか怪物というか人外というか)の映画をつくると○な監督なんですね。
 蠅男しかり、ビデオ男しかり、そして今度の人間凶器しかり。

 どうりで「クラッシュ」(J・G・バラード原作のやつ)が失敗したわけです。
 フェチは確かに変態だけど、それは妖怪のしわざじゃなく、人間の仕業だから。

 それにしても、片田舎のダイナーの主人とおもえない美麗な腹筋のヴィゴでありました。(高校生の子どもがいるなんておもえない美しさ。背中も尻もきれいですよ)
 相手が完全に動かなくなるまで銃口ははずさないし。(再見して、冒頭のダイナー襲撃のときから、表情はトムのままでも動きがそうだったこと発見)

 完全に妖怪だし♪ ヴィゴだからホンモノのチャーミングな妖怪になれたv
 
「いや〜、前から不気味なところがある人だったんですよねえ。やっぱり……」
 とか私が同じ町の人なら、音声を変えてもらってこんな証言しちゃうかも。ワイドショーとかで(笑)。 

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ちょっと違う?

 昨日、二回目を見てきてしまいました。BBM。
 前回より大きなスクリーンで見れたので、映像をじっくり見ることができました。
 はじめのときには見逃したディテールを、割と落ち着いてかみしめてみたり。
 '60年代なかばなのに盥で洗濯してるアルマを見て、イニスの甲斐性無しっぷりに頭痛がしたし。感謝祭のジャックと舅とのやりとりに笑ったし。あと、人妻に「踊りませんか?」とジャックが話しかけた時、夫の牧場主任のローランド(これが4シーズン目のライカー副長似なんだ<TNG・ゴメン)の目を見て言ってるとこにも笑ったし。……二度目は笑うところは笑ってみられました。
 それにしても既に見てるのに、再度見てもじんわりきてしまった。(わたしのなかでは二回目くらいのじんわりが、初見でくれば大きなことです。あんまり泣かないから)

 今回はイニスの無神経さに目がいきました。
 もう、「不器用」なんて言葉はきれいすぎる。「無神経」。
 それはアルマに対してもそうだし(別にジャックのことがある前から、ずっと、アルマはかわいそうだった。稼ぎが悪いうえに、自分の好きなことしかしないんだもの)、ジャックに対してもそう。
 わざとじゃなくても、人を傷つけることってままあるわけです。
 そういう駄目な部分がいっぱいある人が右往左往する話だから、「真実」を感じさせるんでしょうね。
 決してイニスとジャックが悲劇の主人公なわけではない、という。

 それにしても、宣伝文句に書いてある「純愛」というのはちょっと違うんじゃないかと。

 わたしはヴェネツィア映画祭の金獅子賞受賞の時点で梗概を読んでしまっていたので、はなからやっちゃうことは知っていて見に行ったのですが、それにしても「純愛」には「?」となっていたわけです。
 やっちゃったら純愛じゃねーよ!
 「冬○ナ」がいかにベタでもやってないからこそ「純愛」(日本人がいま、思うところの)なわけで……。
 純愛を求めて映画館に行った人には叱られちゃうよ。

 ちょっと引いて考えると、「純愛」っていうのは「愛」を確かめ合った時点で終了。はい、次のステージ、じゃないですか。
 BBMの場合、20年にもおよぶ不倫のお話で、「よう、こいつら飽きないよな」っていう宙ぶらりんな状態が続くわけです。「愛」がある「らしい」ことは、いやってほど確かめ合ってます。
 でも、チョビが隣の家との垣根を越えられなかったがごとく、幼い頃のトラウマがイニスに最後の垣根を越えることをためらわせているのです。……で、20年。
 時代と社会のせいで結ばれなかったとはいえ、たとえ、一緒になってもうまくいく保証なんてないわけです。(うまく行かないことも多い)。
 それで、そっから先は「普通の話」なんです。別に同性愛異性愛関係なく。愛し合った二人がその後どうしていくか、という普通の話。

 ただ、そのスタートにすら立てなかった20年&周りの人に迷惑をかけまくった20年というのを切り出して、「人生のままならなさ」の話にしたので胸を打つのかなーと。

 「司○○太郎はイマイチ」と私の父がいってるんですが、曰く「修身の教科書みたいな人ばかり出てくるから、司○○太郎の小説は面白くない」のだそうですが、司○先生の御本が売れているということは、父の意見は少数意見なのでしょう。(彼が言うほどには歴史上の人物を理想化してないと思うが……やっぱ、「あらまほしき」像ではあるかな。うむー)小説や映画にそういう生き方の見本、みたいなものを求める人は多いのではないかと。
 そういう意味では「純愛」はどうかと思いましたよ。

 原作を読んでから行くつもりだったけれど、結局、読まずにいってしまったよ。次回(機会があれば)は読んでいくでしょう。三回も行くからには、何か差異をつけなければ……という貧乏性。聖典化してしまうのもいやなので、距離をとっている(と、言ってみる練習)
 ちなみに前売り券のオマケにA4版のポストカード(?)がついてきました。太っ腹。
 サントラ、一瞬心が動きましたが、必然的にカントリー率が高そうなのでパス。

 映画館のロビーに「ウェスタン・サドル」(鞍)が飾ってあったのが印象的でした。
 めずらしくもウェスタン乗馬を教える教室があって、そこから借りたんですってさ。
 やる気見せてる映画館です。

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HoV再見前にメモ

 そうそう、HoVの映画評で「トムに対して妻が『十代の頃に会っていれば良かった』という台詞があったが云々」とかいうのがあって、思い出したのでつけたし。
 トムと奥さんのエディがチアガール・コスでラブラブ〜っていうシーンは、もちろん、仲むつまじい夫婦のお遊びでもあるんですが、「十代の恋といえば」という伏線でもあるんでしょう。二人は実際には十代のときに出会っていなかったわけで、それが、エディがトムの正体に確信が持てないことにもつながっているわけです。
 
 それにしても、十代の頃に出会っている=隠すべきことがない状態≒イノセント、って実はそうとも限らないことなんですがね。
 一皮剥けば誰しもが、トム同様、怪物であるように。平凡な田舎の高校生だからといって、なにが後ろにあるかはわからない、というのがこの世の奥深さだとおもいます。

 

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断背山

 と、いうわけで「ブロークバック・マウンテン」を見て参りました。
 ネタバレ無し感想です。

 予告から期待していた通り、とても映像の美しい映画でした。
 空が広々として、淋しくてよい。
 そして美しくも荒々しいワイオミングの自然……。
 そんなこたぁ、わたしよりも上手に色んな人が書いてることですんで、はしょっておいて。

 カウボーイなのに羊の番をしているところが、はじめの、衝撃でした。

 あれだけの数の羊、回収する時とか大変だったろうなあ、と。
 ひょっとしたら、スタッフ総掛かり、どころか監督、キャストに至るまで羊を追っかけたんじゃないかと「動物のお医者さん」みたいなことを想像してしまいました。でも、そういうチーム全体の一体感も自然に伝わってくる良い映画でした。

 まず、若い俳優陣がとてもよかったです。
 なるほど、ヒース・レジャー(イニス役)はこれで若手実力派No.1と言われるようになるでしょう。ジェイク・ギレンホール(ジャック役)もよかった。アン・ハサウェイ(ジャックの妻・ラリーン役)の演技にはびっくり。ほんとうに19歳? ミシェル・ウィリアムズ(イニスの妻・アルマ役)もいい。
 キャラクターに「ぶれ」が全然かんじられないです。
 まるで一つのお芝居のように完成された世界でした。
 ほとんど「事件」が起こらないのに、緊張感がとぎれることがないなんて、すごい。

 アン・リー監督の中に完成した映画のイメージ、そして脇役にいたるまで登場人物の生まれてから死ぬまでの詳細なイメージが確固としてあったのではないかと思えるほどです。パンフレットなどには「ディスカッションを重ねて」と書いてあったけれど、話し合ってその場で決めていくような要素はほとんどなかったのではないかと想像しました。もう、役者が「こうだと思う」と監督に正解・不正解をたずねるような世界じゃないかと。あまり喋らない人ですし。
 そして監督の要求はとてつもなくきびしかったのではないかと。
 あくまでも、勝手な想像ですが。
 メイキングがちょっぴり見てみたい。

 秘密、渇き、孤独。

 簡潔にいうと、そういう映画。
 ものすごく個人的な話なのに、深いところで普遍的なものにつながっている大きな映画です。

 本当に無駄なところがありません。
 ごく短い短編を、原作を損なうことなく豊かにふくらませた脚本もよかったです。
 ラスト前のシークエンスから後は、もう、涙を抑えられませんでした。
 そのうえ、あとからパンフレット(総力取材?ってかんじの詳細なもの)を読み返したら、思い出し泣きしてしまいました。……われながらびっくり。

 一年ぶりに映画で人間に泣かされました。

 (……それもどうだろう? 自分)

 わかりにくいところのない映画。
 そして、下手なところのない映画。

 これだけの作品を見て、なおも反発する人はいるんだろうと思います。
 抑制された表現で、核心をついています。だからこそ余計に「許せない」と、「保守的」なひとは危機感をかんじてしまうのだと思います。

 わたしは感動すると疲れてしまううえに、一度見るとだいたいのカットを憶えてしまうので、よい映画であっても「また見たい」と思うことはあまりないのですが

 (そういうのって人として問題があるような……)

 これは、ぜひまた劇場で見たい、と思いました。
 鑑賞したい、とおもったのです。

 見終わった後に、とても「個人的な体験」をしたように感じる映画だったのが新鮮でした。
 特にわたしに同性愛について個人的な思い入れがあるわけでもないのですが、そういうことではなく、内面に訴えかけてくるものがあったということですね。


 ……名作にしてもこれだけ泣いちゃったのは歳のせいなんだろうか、とも、ちょっぴり思うんですが、どうなんでしょう。
 ちなみに「萌え」とかそういう映画ではありません。みじんも。これ以上付け足す物は何もない、というか。
 それにしても、この感想、ほんとに「感想」で、ごめんなさい。
 ディテールが命の映画なので、ディテールにふれつつ書くと、あとから見る人は楽しめないでしょうし。ずいぶん後になってから、また書こうかな、どうしようかな……というところ。

 2005年9月17日付のこのブログで、ヴェネツィア映画祭金獅子賞をとった話を書いてから、半年。ようやくみることができました。いい作品でよかった♪


 それから半年前のその日記では、結構シニカルに書いていたクルーニー兄貴の監督っぷりですが、今では感服しております。だって兄貴、ちゃんとしてるんだもの。真面目で、かつ鈍くもないというか。苦労人なのか? 「ニューズウィーク」で毎年恒例の「アカデミー監督賞ノミネート監督による座談会」、過去5年分くらい図書館でみようかな。などと、ついでに思いました。

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映画の「音」

 映画って映像だけでなく音も「嘘」(というか作り物)なのですが、音について気がついたこと。

 先週末、ようやく「シリアナ」を見てきたのですが、映画のストーリーそのものはさておき、なにか、ものすごく「リアル」な印象を受けたんです。
 その原因に「音」があることに今ごろ気づきました。
 たとえば、まず、冒頭ちかくのシーンで車が爆発するシーンの「音」がすごく、生々しかった。あとミサイルが至近距離で爆発するときの「音」とか。
 もちろん、そんな音を実際わたしがきいたことがあるわけじゃないんですが、金属が破裂するような生々しい音は、所謂「迫力ある音」とは別のリアル感がありました。
 破裂する金属、砕けるコンクリートの、耳が音圧でどうかなりそうな「音」。

 聞いた者の命を奪う「音」です。

 これは普通の「迫力ある音」満載のアクション映画にはない「音」なんですよね~。

 それで思い出したんですが、数年前に、ものすごく印象的だったフランスのアクション映画で「スズメバチ」っていうのがあって、どうしてそんなに印象的だったかというと、「12,000発」とかいうふれこみの弾の音が本当に怖かったからです。
 たとえば「ダイ・ハード」で飛び交う弾丸はそんなに怖くない。
 当たっても痛くなさそうっていうか。

 でも「スズメバチ」の弾丸は、かすめただけでも痛そうです。
 高速で発射された金属が金属やコンクリートに当たる「バチッ」っていう音がして、たっぷり乱射してるくせに、一発一発が痛そうで、怖い
 はからずもアメリカのアクション映画へのアンチみたいなものを感じました。ま、ちょっとだけだけどさ。(実際は特殊部隊のライフル改造したりして喜んでたようだし)

 そういえば「ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス」はどうだったかな?
 まだ劇場で見てないから「音」のキモさは確認してないんですが、きっと黒監督のことですから、骨の折れるグチャッとかゴリッとかいう音とか、張り切ってつけてくれてることと思います。
 でも銃の方はどうかな?
 その辺も確認しないと♪

 それにしても一般にアメリカ映画の弾丸の音が怖くないのは、意図的なものかと思ってしまいます。
 やっぱり全米ラ○フル協会とかで、「あまり怖そうな銃器の音を使ったら、R指定にしちゃうよ」と圧力をかけてるからか?

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チャタレイ夫人 4分の3

 そういうわけでようやく、いつもの後輩マヤ(仮名)と共に、ケン・ラッセルの「チャタレイ夫人」をみることができました。
 1話52分で全4話。そのうち第3話まで。
 ……中途半端!

 そういうわけで後1話を楽しみにのこしつつ、ネタバレ感想(途中まで)。

 まず、はじまってすぐ思ったのは、イギリスってロケ地が豊富でいいなーってことです。
 美しい英国の田舎の教会、森のある広大な所領、貴族の館、そして美しい貴婦人とその半身不随の夫……ロレンスの作品世界にするりと入りこませてくれます。
 
 というわけで、今回はラッセル監督親切路線で語ってくれてます。

 ——が、ちょっと気になるところも。割と最初のほうでの黒い馬と花園の若者の夢……ベタです。
 そりゃそういう夢だって原作にあったんだろうけどさー、ラッセルいやがらせなくらいベタな表現をかましてくれました。時々、ケン・ラッセルってこういう心象風景ふうのところで、すっごいベタをやってくれませんか? 天然ですか? それとも挑戦ですか?(汗)

 ショーン演じる米良ー図(すごい変換)いいのか、っていうくらい即物的です。「脱いで」ってコニー(レディ・チャタレイ)にしつこくしつこく言われるまで服も脱がないし(笑)
 でもショーンだからストレートではあっても、陰に籠もってません。鼻息荒いのはいつものことだ(笑)……ていうか、ロマンティックじゃないし、エロくもありません。
 雨の中全裸で走り回るシーンは、草が藪みたいで痛そうでした(汗)
 ラッセルの狙いはロマンティックでちょっぴりエッチな恋愛もの、ではなく、心理劇なんじゃないだろうか。心理小説とかいう言葉を習ったなあ、と思いつつ見ました。

 そして、見る前から予測してたんですが、わたくし、やっぱりサー・クリフォード(コニーの夫)嫌いじゃないかもしれない。
 役者さんのジェイムズ・ウィルビーの顔も好きです。気に入ったわ♪
 本が好きで、チェスが好き、そんな知的な人。実際に付き合うにはめんどくさいからヤダけど、タイプとしてはいいかんじ(勝手)
 で、対する豆メラーズは本読まなさそうです。読み書きはできて、世の中の仕組みも四則の計算もわかっていそうだけれど、本は読まないタイプ(笑)
 これは原作と意識的に変えてあるんだとおもった。
 単純に言って夫も恋人も「本を読むタイプ」だったら、レディ・チャタレイの気持ちが分かりにくいもの。(それとも同じタイプならカラダのいい方がいい、とよりはっきりする?)
 ひょっとして、と思うのは、ラッセルはあんまり、サー・クリフォードやメラーズをドロドロ描くことには興味がないのかもしれない、ということ。
 だって、どちらもそれぞれに魅力的だから♪ ただし、階級の違いを生き方そのものに反映させて、ものすごく対照的に描かれているけれど。
 どっちも捨てがたい。夫と愛人でそれぞれ役割分担してもらったら、レディ・チャタレイおいしいな<酷

 それよりも淫靡に描かれているのは、レディ・チャタレイとボルトン夫人の関係。
 レディ・チャタレイをたきつけるくせに、噂を村に流したり、おそらくサー・クリフォードの愛人になってしまうんだろうしたたかさ(つまりコニーへの励ましは自分のことでもある)、それでいてメロドラマにありがちなギラった感じがなくて、なかなかナイスなボルトン夫人。
 この人をもっと悪く描くのも簡単だと思うけれど、そうではなく、敵意とともに無意識で共感が相半ばしてるところが面白いっす。
 ラッセル版のレディ・チャタレイは、素直すぎて、あんまり考え深いタイプじゃないんですが、性欲だけでメラーズに走った訳じゃなくて、恋愛したい女の人ってこうだよなという描き方。
 D.H.ロレンス、というかケン・ラッセルは女の人の心理を描くことに無上の喜びを感じていたのかもしれない。


 ……うはははは、淀長センセイの論評を見つけちゃったよ。

 そういうわけで後1話、この完膚無きまでのメロドラマを楽しみます。
 時代の枠組みがあるからお話ってお話になるんだなーというお手本のような物語。

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ヒストリー・オブ・バイオレンス

 ネタバレ感想です。
 とはいえ、字幕なしで、しかも劇場の大スクリーンでなかったので、日本公開されたら当然、劇場に見に行きます。たとえなっちの日本語字幕であってもね☆
 LAで見た時の印象があまりにキョーレツだったので、その時のメモをそのまま書きます。
 文字色反転ね。
 ……で、あとで字幕と答え合わせ(?)して身悶えるの……。


 静かな淡々としたはじまりの映画です。
 めずらしくフツーに生活してる人の役の藻っさんです。「トム」っていう平凡な名前で、片田舎の街のダイナーの主人で、奥さん(マリア・ベロ)と、高校生(?)の息子と幼稚園の娘がいます。
 でも、奥さんがチアガールのかっこうをしてくれたあたりから、クローネンバーグの変態性の片鱗がちらちらしはじめます。(シーンとしては森田芳光の「家族ゲーム」の伊丹十三と由紀さおりなんすけどね。ああ、藻っさんもそういう年の役なのか。でも、もっと生々しいの。クローネンバーグだから・笑)
 ここまでは何の波風もない平和な家庭です。まあ、息子は学校でジャイアン(違)(アメリカのバカ学校にありがちな、スポーツが多少できるらしいマッチョ系いきがったやつ、でもそういうのが人気者なんでしょ? アメ公バカだから)に目をつけられかかっていて、そこはちょっと波乱含みではあるんだけど、想定の範囲内。
 そんなある日、二人組の強盗がトムのダイナーに押し入ります。
 とっさに、というにはあまりにも鮮やかな手つきで、強盗を射殺してしまうトム。
(二人目なんて、トムは足をナイフで刺されてたのに確実に二発撃って射殺してます)
 たちまちマスコミがむらがり、トムは小さな街の英雄になってしまいます。
 ところが、その後、トムのダイナーに顔に傷のある男(エド・ハリス)が現れ、トムを「ジョーイ」と呼びます。エド・ハリスあからさまに怪しすぎ(笑)
 そしてトムの妻に「本当は、お前の夫は殺し屋で、おれの目を有刺鉄線でえぐり出した、この顔の傷はそのときのものだ」と言います。
 
 あまりに冷静沈着なトムの行動と、その割には盛り下がった態度(ふつー、素人なら悪者退治したらすこしは高揚するでしょう)に、ちょっぴりヘンだなとおもっていた奥さんの心の中に、じんわりと疑問が沈殿していきます……。

 このあたり、藻っさんのどことなく人外(人でない雰囲気)が、ちょっぴり怪しいと思わせるのはいいキャスティングなのかも。

 で、まあ、色々あったあと、息子が学校で喧嘩をして、目を付けられていたジャイアンをコテンパン、どころか病院送りにするほどやっつけてしまいます。
 お父さんは勿論、息子を叱ります。
(このへんのやりとりは、私の勝手な推定)
「お前はいったい何を考えてるんだ? 相手は病院送りになったんだぞ。いつも父さんは『暴力はいけない』と教えてきただろう」
「ぼくが学校で辛い目にあってるのもしらないくせに」